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元気な日本を復活させる
 今日は雪が降りましたね。僕は青森出身なので、東京の雪なんておちゃのこ。雪はホコリと水分が空中で出会って、凍って落ちてくるんだ。その過程でそのふわふわの構造の中に周囲の音を吸い込むんだそうだ。雪の日はしいんと静かだ。喪に服しているようにね。僕らはその雪で雪だるまを作りたい。そしてその雪だるまの中に詰まっている音を、再びかき鳴らしたいんだ。鳴り響く音楽を5限後の音楽と云います。写真展よろしくお願いします。



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ということで今日は雪の降る中、浅草。写真展会場であるPIPPOでWS。中藤毅彦さんによる、写真集を見る第4回。大満足フォーミー!!レアな写真集を見る見る。中藤さんが様々な写真集をかけ算でつなげてくれるから、よりおもしろい。そしていい意味で体力奪われるぎゃぶー。写真集ってすぐに絶版になるから悔しいよなあー。なんとかなからないかな。写真ってさ、そもそもさ、ソフトウェアとハードウェアの甘美な合体なのですよ。デジタルがでてきて、ソフトウェアが暴走して、それは便利なんだけどさ。僕らの身体はハードウェアでアナログなのだよ、しょせん。心もね。だからこそ心は、雪みたいに溶けて消えてしまうようなもの(ハードウェア/アナログ!!)にこそ、染み込んでしまうのでしょう?



金曜 山端拓哉

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無題
 写真とはいかなる瞬間に撮られるのだろう?

 

さらには誰によって撮られるのか?

 

たぶん私は私の言葉によって、彼の写真を、彼から盗み取ろうとしている。

 

—ジャック・デリダ「留まれ、アテネ」—


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僕は、引っ込み思案な人が好きだ。

 

 いつも自分の言葉がどのような道筋をたどって自らを捉え、また紡ぎ出された言葉がいかにして相手に届くのかについて、繊細な高鳴りに息苦しくなる、その人。あるいはその繊細さがたたって、シニフィアンのダンスフロアで場違いなステップを踏んでしまう、ノイジーな発話者。

 

 友人であれ、恋人であれ、見知らぬ誰かであれ、言葉の企む幻影の手練に、絶えず柔らかな傷跡を刻まれる彼らのか細い身体に、僕は心の底で、君も、、と呟く。

 

 僕の好きな写真も、自然とそのようなものになる。僕らの眼差しに、嘲笑と哀しみの一瞥を注ぐ幾人もの写真家達。(そう、僕は彼らに眼差されることが恐ろしくて、多くの写真と出会いそびれている)その中で、ウォルフガング・ティルマンス、ライアン・マッギンレイ、この二人はいつも僕に、僕が他者をまなざす眼差しを、その印画紙の上で、加えることもなく、減じることもなく反転させ、静寂の物腰で送り返す。他者に差し向けた視線は、そのまま負債となって僕の眉尻に注ぎ返される。誰かの吃音は、僕の吃音になって、今日も喉をつまらせ、音になり損ねた言葉の死骸が、腹腔の平面に堆積する。

 

 彼らに共通するのはいうならば、他者に接する時のひりひりするような、あの痛みのような物で、主体が 他者に向き合うその境界面に立ち現れる湿り気を帯びた光の束が、彼らの写真の輪郭を柔らかな一太刀で切り取ってゆく。

 

 哀しみの純粋強度の様なその何か。

 

 カメラが切り出してくる瞬間とは、カメラという第三の眼差しが、他者というヴェールに包まれた存在の向こう側から照射してくる神秘的な粒子を、主体存在の 無意識的な心のトポロジーを通じて、この現実世界に引き出してくるその裂け目に他ならない。トポロジカルな通路によって咀嚼された純粋贈与の残滓を、透明な液体の中で掬い上げる写真家の指先に、僕はいつも嫉妬する。

 

 換喩の絶え間ないステップの合間に、僕は君に別れの口付けをする。

 

 言葉がイマージュの誘惑を裏切る瞬間を夢見て、今日も眠ろう。

 


木曜ゲスト  小島和明

17放課後
 橋本です。 

先週のブログがAfter17Musicに影響されてか、みなさん高校生の頃の話しが多かったので、僕もそれについて書いてみようかと思います。 
おかわりのドリンクを悩んでいて、誰かが居酒屋青リンゴサワーを飲んでいたら、僕も青リンゴサワーを頼みます。橋本です。 
それは、誰かが視線を移したら、その視線を意識するということで、だからカメラを撮ることよりも、カメラマンがなぜ、どんな気持ちでそれを撮るのか、そういうのが好きです。話逸れました。 

17歳と言えば、高校二年生ですね。その頃僕は演劇部にいて、部長をしていて、模試の点数が悪くて、遅刻をするようになって、大塚愛が好きで、ハンターハンターが好きで、ふくりゅうえんを吸っていました。 

愛知に住んでいたので、1限と2限の間を「休み時間」と言わずに「放課」と呼んでいました。だから僕には三つの放課と一つのお昼とがありました。今思うと、「放課後」って余り使わなかった気がします。三つ放課あったりゃ、そりゃくどかったんだよなぁとか今にしてみると思います。 

大学に入って、それを知って、放課後を手にいれました。ただ、夕方からバイトが入ってたので精神的には放課後は「あと」っていう感じじゃなくて、「これから」って感じでした。 
今は夕方から「暗室」の稽古をしているので、やっぱり放課後って感じがしないです。明日から稽古が昼になり、深夜にバイトがあるので、その間の時間が放課後になります。それでもまだ「あと」ではなく「あいだ」です。 

夕方から何も用事がなく、一日が終わりに向かう時間こそ放課後な気がします。 
今は朝焼けが夕焼けなブラジル生活です。 

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画像は、PiPPOの暗室。引き伸ばし機と音楽・ローラーチーム出演の涌井くん。 

水曜 橋本清


魅力
わたしは学童保育のバイト 
をしているのですが、きょうは“おはなし”がありました。
語り手が昔話を聞かせるっていうもので、
もちろんわたしは聞く側です

語り手の人を惹きつける力ってすごいですね
想像を膨らませる話し方というか、頭の中は絵本を読んでるような感じになるんです 
思わず聞き入ってしまいました 

おはなしだけじゃなくて
すべてに言えることだけど
魅力ってやっぱりいいな 
人も写真も音楽も 
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火曜 上城千枝

きんりゅうラーメン
 高校の頃、友人ら4人と大阪へ行きました。 
しかし新幹線や飛行機とは縁遠い生活をしていましたので、青春18きっぷで10時間鈍行に揺られました。始発で東京出て、途中何度か乗り換える度体力が削がれていくのを実感しつつ、座席に座れたり座れなかったり…。初めのうちはテンション高めに会話は盛り上がりますが、時間が経つにつれ葬式顔負けの沈黙っぷりに。本当これ大阪行けるのか、殴り合いでも始まるんじゃないかと不安を隠し切れません。 

しかし道頓堀のグリコ看板見た瞬間、一気に復活します。さすが高校生、潜在体力値は大人の予想を超えます。 

「うおおおおグリコだ!」 

「うおおおお蟹道楽のカニだ!ハサミと脚が動くぞ!」 

「うおおおおタコヤキ!タコヤキ!タコヤキでんがな!」 

大阪の街中を走り回ります。聞き慣れない関西弁や東京にない街全体の活気に身を揉まれ、まるでテレビの世界の中に入りこんだようでした。デジカメで周囲を撮影しまくり、エセ関西弁で無駄に会話を繰り広げ「なんや!日本も狭くなったもんやで!」とブイブイ言わせていこうと鼻息を荒くします。 

さて大阪に行ったことある人はご存知かと思いますが、意外と観光地って少ないもので少し外れると池袋と見間違うような雑踏になります。 
旅行は2泊3日でしたが、初日は移動日と道頓堀と通天閣とタコヤキ。2日目はコインゲームセンター三昧。ご飯ははなまるうどん。最終日はラウンドワンでボーリング、マクドナルド食べて帰宅でした。 

完全な下調べ不足は否めません。せっかくの大阪、もっとゆっくり満喫すべきでした。ラウンドワンて…ゲーセンて…はなまるうどんて… 



写真は道頓堀沿いの金龍ラーメンです。唯一の大阪グルメです 。

ありがとうございました 。
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月曜 宇野憲太郎
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