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あい
私の番がまた回ってきたということは、暦の上では7日が過ぎてしまった、ということですよね。早いですね。
もう一度言います。早いですね。誰か私に囁いてほしい。
「気のせいだよ。」と。向山です。


私は、写真の中に「あい」を見つけることが好きで、「あい」っていうのは「愛」だったり、「哀」だったり、はたまたピントが甘い「曖」、切ないほどの「逢」、笑っちゃうような「遇」。
写真ってちょっと考えただけでも、こんなにも「あい」に溢れている。
そしてなによりもはっきりと写し出されているのは、自分自身の「I」。「一枚」のどこかに絶対「わたし」がいて、初めて写真の中に、わたしを見つけることが出来た時の嬉しさは、言葉に出来なかったなー。多分二年生になったばっかりの春だった気がする。

もっともっと色鮮やかで、豊かな「あい」に溢れた写真を撮れるようになりたいなーと思っています。
写真展まであと2週間ほどになりました。私たちも精一杯準備いたします。浅草PiPPO、お暇でしたらぜひ。
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覚悟

17才の頃。

帰宅部で目標がなく、帰ってもさしたる楽しみがなかった時期だ。

受験を控え、進路に悩んだ時期でもあった。

漠然と美大への憧れがあった。

高二の夏と冬、取手の美術学校の映像科の集中講座に参加した。

自分の才能試しにだ。当時は本気でそう考えていた。もしなければ普通の大学へ通おうと決めていた。

夏は写真のスライドショーによる音楽のPVを作った。

この時生まれて初めて自分の作品を人に見せる。他学科の予備校生に開いた講評会はなんとも言えない高揚感があった。予備校生たちは素直に感動してくれた人がいた。そして辛口な意見をくれた人もいた。これには驚いた。見ず知らずの自分に対して率直に意見を述べる人たちがいることを初めて認識した。これは学校じゃ経験しえないだろうことで、それがすごく嬉しかったのを覚えている。


そして冬は「道」と題した写真展を作ろうとした。道があったところには、なかった時代の記憶や何かがあるということを訴えようとした作品だ。

先生たちはできる限りのことを僕のために尽くしてくれた。
しかし僕は不甲斐ないことにそれを上手く完成させることが出来ず、結局一枚しか展示できなかった。

展覧会後、先生は僕の眼を見て真顔でこう言った。

「すこし覚悟が足りなかったんじゃねえのか?」

ショックだった。作品を不完全に出すことは周囲への裏切りでもある。

自分だけの作品ではないのだ。

佐内正史やホンマタカシ、ミシェル・ゴンドリーなど、いろんな写真家や映像作家を教えてくれた先生に何も返せなかった。

帰り道、巨大な貼りパネを片手に屍のような状態で常磐線に乗った。

「He looks so sad. haha.」

同じ車両に乗り合わせた外人にあざ笑われた。

家に帰り、飯も食わずすぐ自分の部屋へ向かった。ひたすら泣きじゃくった。

つぎに机の前の壁を殴った。固いと思っていた壁だ。自暴自棄に酔って、拳に傷がついて血まみれになることを期待していた。けど壁は思った以上に薄く、簡単に穴ぼこ一つ空けてしまった。拳には擦り傷しかない。


才能はもちろんのこと、本当に何もない自分に気づいた頃だった。


土曜担当 飯塚祐基


FE2

 17歳の僕は友達がいなくって、教室にいるのが苦痛で苦痛で悲しかった。僕は音楽や本に逃げた。そこには僕とむき出しの心で関わってくれる人が確かにいた。それはサンボマスターであったり、小林紀晴だったりした。だけども僕は、今ここで一日を過ごしている人とこそ、話をしたかったし、むき出しの心で関わりたかった。だからカメラを持つことにした。カメラを持ったら小林紀晴のように面と向かって人と関われるだろうか?父親が20年前に使っていたNikonFE2が戸棚の中でホコリをかぶっていた。僕はそれに再びフィルムを入れ、首からぶら下げて、鏡の前に立ってみた。本当に恋をしているような、そんな気持ちだった。ファインダーをのぞきんで、世界を僕は見た。そしてシャッターを切った。

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『5限後の音楽』の英名は『After 17 Music』というあえての誤訳なのは、そこに17歳の頃の僕らを回収したかったから。あの頃、僕らはただひたすら悲しくて、もしくは楽しくて。写真展でその頃の僕らを抱きしめたいし、一緒に歌えたらと思ったんだ。

金曜 山端拓哉

シュナの旅

木曜はゲストの日です。『5限後の音楽』には出展しないけど、看板を背負ってもらってる(ブログ&チラシ写真)シュナちゃんです。シュナちゃんの写真につられてお客さんわんさかだぜ!!撮影秘話など。

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はじめまして、武蔵大学写真部の古城です

チラシの写真の思い入れを、とのことだったのですが思い入れ思い入れ・・・。
撮ったのは去年の7月、瀬戸内のイベントに行ったときです。島をめぐるお祭りなので船で移動をするのですが、なので写ってる方は島を行き来する高速艇の船長さんですね。オリーブマリン号、船を出した小豆島がオリーブの産地なのでフム、素直な名前。
おじさんには港の小さい船着き場から見える山の名前について教えてもらいました。おじさんのしゃべってること、半分くらいは聞き取れなかったのですが山のことを丁寧に説明してくれてることはわかって、私はと言うと、ただもう必死にうんうんうなずいてました。
私は大概小心者なので、知らない人に声をかけるっていうのはそれだけで大変勇気が要ります。一人旅っていうのはそういうための勇気をくれますね。恥のかき捨てって言ってしまえばそうなのですが、その、恥を捨てて絞った勇気でですね、人に話しかけてみると、それだけで相手と自分との関係が変っちゃうんですね。良い意味でも悪い意味でも
当たり前ですけど会話って一人じゃ成り立たない訳で。すごい

写真の話じゃなくなりました。

5限後の音楽、展示が始まるのが楽しみです。私もぜひ足を運びたいとおもいます。

『暗室』小林紀晴「暗室」幻冬舎
ブルーノプロデュース主宰の橋本です。
写真展で「暗室」という演劇を上演します。

最初なので、ざっくりですが、色々説明します。
「暗室」という作品は、幻冬舎から出版された小林紀晴さんの「暗室」という小説を使ってやります。
原作というかモチーフというかBYというか、精神を引用というか、多分かなり変容していくんじゃないかと思ってます。

写真展のタイトル「5限後の音楽」にちなんで、5バージョンの30分くらいの短編をやります。
余談ですが、過去の芝居で7バージョンの短編を作ったことがあり、その経験のおかげなのか、大丈夫なんじゃないかなぁと麻痺してます。
5バージョンあるので、会場であるPiPPOも色んな使い方をしそうです。
暗室だったり、ギャラリーだったり。
一階にはお寿司屋さんがあるのですが、なかなか無視できない存在になってます。(来るとわかります)
醤油みたいな現像液と酢酸とシャリと演劇と写真と音楽とその他もろもろが全部混ざりあってひとつになればいいです。
実際に現像したり、踊ったり、歌ったり、叫んだり、寿司食ったり、レコード回したり、なにかしらやります。

という感じで今のところどんな作品になるかはわかりません。
日々フィルムカメラで自由に景色を撮るように稽古してます。
すぐに確認できるデジタルでなく、フィルムだからこそ、どうしようもないフィジカルな俳優たちとだからこそ、ゆっくりと現像していきたいなぁ、とかなんとか。

といいつつ、僕自身、写真の世界に触れ始めたのが半年前だったりして、写真については全くといっていいほど無知です。
小林紀晴→飯沢耕太郎→畠山直哉→津田直といった感じで、どんどん興味を持ちました。

写真展参加者のブログの記事もそうですが、写真やるひとたちから紡ぎ出される言葉にはいつも惚れ惚れします。
イメージを扱うひとたちだからこそ、言葉の使い方というか、イメージの言語化というか、が発達してんのか?


最後に、各バージョンの現在進行状態を記します。こんなことやってます。

・1限「ハニカミジェーン」
絵を勉強してる、はらまりさん×写真部たくや。デジタル&フィルムは、アクリル&油絵?
・2限「ローラースケート・パーク」
来週みんなでスポッチャ行きます
・3限「なんにもないへや」
まだなんにもしてません
・4限「丘サーファー」
憧れと、チャンピオンたちの朝食と、ディエンビエンフーに影響されてます。クラシックはデジタル?
5限「AM5」
出演者のかおりんと暗室で水現像やりました。10秒撹拌→20秒放置。ゼンアンのなかのリール巻きに失敗しました


そんな感じです。
シャッター&演劇LOVE。
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